仏教のお勉強

先月、中国敦煌へ行って来ました(^◇^)

目的は三蔵法師が孫悟空と共に目指したと言われている「雷音寺」が100年ぶりに改装され、その除幕式に出席する為でした。

三蔵法師はこの雷音寺で、仏様にお迎え頂いて労をねぎらわれたと伝わっています。

さすがさすがの歴史的古刹だけあって、中国全土から本当に沢山の方々が集まっていました。
なかでも驚いたのは、その信者の暮らしぶりです。

中国浄土仏教は日本浄土仏教と違い、戒律が非常に多くあります。
僧侶で200以上、尼僧に至っては300以上の戒律を守って暮さなければなりません。

例えば、夜はベットに横になって眠ることはありません。
そもそも「寝具」というものがありません(苦笑)

また昼を過ぎたら、食事を摂ることはありません。

こうした戒律は僧侶としての戒めだけでなく、ブッダの暮らした当時の生活様式をそのまま継承しているために続いている…といったものも少なくはありません。

例えば、お昼過ぎたら食事を採らないという戒律は、当時は托鉢でしたので、

お粥もお肉も、フルーツもチーズも牛乳も…

とにかく托鉢に周った先で入れてくれる食物は、全てひとつのお椀に入れていました。

それを朝食と昼食に分けて食べるのですが…

色々な食材が混ざっているため、インドの気候によって、お昼過ぎてだんだん高温となると、食物は発酵したり、腐敗したりしてしまいます。

そこでお昼までに全てを食べてしまい、その後は何も食べずに過ごしていたわけです。

今ではさすがにお寺でも冷蔵庫はありますし、托鉢によって食物を手に入れているわけではなく、ちゃんと寺で調理をしているので、

現代ではあまり必要では無い習慣なのですが、それでもずっと継承されて来ているのですね…。

日本の浄土仏教では、こうしたブッダの生活様式を継承して日々を暮らす…ということはありません。

なぜなら仏教に対する考え方が根本から違うからです。

インドや中国における浄土仏教は、厳しい戒律を守り、よりブッダに近付こうと修行することに意味があり、

一般信者たちも自分たちには到底出来ないような厳しい修行に耐えている僧侶を、心から尊敬しています。
私も敦煌でこうした戒律を守る僧侶を目の当たりにし、本当に尊敬の気持ちが溢れました。

ただ…
インドや中国の仏教哲学からすると、仏様に近づくことが出来て、極楽往生できて、救われることができるのは、この厳しい修行に耐えた人と、その僧侶を支えるためにお布施を差し出すことができた人だけで、

そのほかの人は「救われない」ということになってしまうのですね。

一方、日本の浄土仏教は、ブッダの前に阿弥陀さまという仏様がいらして、その阿弥陀さまが私の力でこの世の全ての人を救うと約束して、もの凄く厳しい修行の末に仏様になられた。

私達、凡人がどれ程修行しょうとも、そもそも阿弥陀さまのようになれるわけがないのだから、
最初から阿弥陀さまに「よろしくお願いします」と素直に助けを求めましょう。

…という考え方なんですね。
これを「南無阿弥陀仏」と言います。

実は私…この考え方が大好きで
本当に救われたい人とか、助けが必要な人って、
もともと阿弥陀さまのような厳しい修行に耐えられないから、助けが必要なんでしょ(笑)??

私ももちろん同じです(^^)

阿弥陀さまやブッダのように、全てを捨てて、厳しい修行に耐えて、神様になれるぐらい強い人なら、もともと助けなど必要ないのではないかな…?と思います。

仏教は戒律を守れない、修行ができない弱い人は救わない…ではなくて、

戒律が守れない、厳しい修行にも耐えられない、財産もない、学問も難しい…といった凡人こそ

本当の意味で救いが必要なんだ!って、私も思います。
これを説いた方が日本浄土宗開祖の法然上人です…ね。

中国敦煌での経験は本当に勉強になりましたし、私の尼僧ぶりなど、中国の尼僧さんと比べたら、子供の遊びにもならないくらいにお粗末なものと、痛感しました(苦笑)

でも、法然上人の説いた浄土思想からすると…
こんなお粗末な私だからこそ、阿弥陀さまが助けて下さる…となるのですね(^^)

穏やかで、助け合いの精神に溢れた日本ならではの考え方…と言えるのかも知れません。

まさに福祉の原点だと思います。(^◇^)


  1. 2013/10/31(木) 21:42:13|
  2. 塾長
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2
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コメント

お疲れ様です。

中国で様々な勉強をされてきたのですね。

異国の地で日本を見つめて改めて日本の助け合いの精神がいかに素晴らしいことが発見できたみたいで私も嬉しく思います。

今年度から障害者総合支援法に改正されたのを契機に、日本の福祉社会がより良き環境になることを切に願います。
  1. 2013/11/01(金) 21:13:48 |
  2. URL |
  3. くろやん #-
  4. [ 編集 ]

お疲れ様です。

高部塾長のコメントを拝見させて頂きました。


私は中国の仏教も日本の仏教もどちらとも考え方は素晴らしいし、とても比較のしようがないものだと考えております。

厳しい修行や戒律を積み重ねてブッダ様や阿弥陀様に近付くやり方も、とても厳しい修行に付いてゆけず救い(助け)の手を差し伸べるやり方も、個人それぞれの考えで選択することが自立(自律)への第一歩につながるものだと考えます。


その選択こそが私達一人ひとりに与えられた権利(人権)であると考えてみると改めて高部塾長の話の深さが伝わってきます。
とても勉強になるコメントを頂き、ありがとうございました。
  1. 2013/11/07(木) 00:02:33 |
  2. URL |
  3. くろやん #-
  4. [ 編集 ]

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